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【PR】【ジャニーズ性加害問題】ジャニーズの憂鬱【伝説のグループya-ya-yahって?】

今、話題になっているジャニーズの性加害問題。

BBCニュースでは

「恨んでいる」というジャニタレは少なく、

むしろ感謝しているタレントがほとんどだった。

本当にそうなのだろうか?

実際にジャニーさんから推されたが、

デビューできなかったグループについて、

彼らの経歴と背景について紐解いていくと、

そこには憂鬱以上の感情があった。

 

今回は、2000年にジュニアでありながらも

「世界が一つになるまで」で

CDデビューをはたし、

ジュニアにして、グループの冠番組ももっていた

ジャニーさんからかなり推されていたであろう

「ya-ya-yah」を基に解説していく。

 

前回の記事はこちらから

前々回の記事はこちらから

 

ジャニーズの衝撃的な暴露本↓


ya-ya-yahとは?

ya-ya-yah(ヤーヤーヤー)は、

ジャニーズ事務所に所属していたジャニーズJr.内の男性アイドルグループ。

活動の幅、メディアの露出度から

ジャニー喜多川のお気に入りであったことは間違いないだろう。

活動期間は?

2001年~2007年まで活動していた。

活動内容は?

ジュニアながらにしての冠番組

「ya-ya-yah」という自身の冠番組をテレビ東京でもっていた。

2003年から放送開始、2007年まで続いた。

CDは?

「世界がひとつになるまで」でCDデビュー。

以降、CDはでていないものの、

定期的に、ya-ya-yahとしての

オリジナル曲が提供され、番組内で披露していた。


舞台・ライブは?

現嵐メンバーもジュニアの時に

参加した舞台「stand by me」や、

横浜アリーナでの単独公演も行った。

誰のバックについていた?

キンキキッズの「ね、頑張るよ」では、

薮宏太、八乙女光がキンキのすぐ後ろにつくなど

バックにしてはかなり露出度の高いポジションであった。

NEWSのデビュー曲では、メンバー?と思われてもおかしくないポジションで

コーラスを薮宏太、八乙女光がつとめ、メディアの露出も高かった

 

左右、マイクを持つ赤い衣装がya-ya-yahの2人だ。↓


3年B組金八先生の出演

アイドルの登竜門である、3年B組金八先生へも

薮宏太、八乙女光、鮎川太陽の3人が出演している。

八乙女光に関しては、

覚せい剤中毒者の役であり、主役?と思わせるほどの重要な役柄であった。

あやなな
当時、演技力もかなり評価されていたが、現在、八乙女光は俳優業としての活躍は見られない。厳しい世界だなと感じる。

メンバーは?

ジャニーズジュニアあるあるだが、

メンバー編成は何度かあった。

最終的に落ち着いたのが

  • 薮宏太(やぶ こうた) - 神奈川県出身。
  • 八乙女光(やおとめ ひかる) - 宮城県出身。2003年に加入
  • 鮎川太陽(あゆかわ たいよう) - 東京都出身。
  • 山下翔央(やました しょおん) - 東京都出身。

である。

元々のメンバーは↓

  • 赤間直哉(あかま なおや ) - 東京都出身。
  • 星野正樹(ほしの まさき) - 東京都出身。
  • 安藤靖浩(あんどう やすひろ) - 大阪府出身。
  • 吉田雄基(よしだ ゆうき ) - 東京都出身。

であった。

なぜメンバー編成したのか?

旧メンバーは男子から男性への変化がみられ、身長がどんどんのびてきて

顔つきも男性になっていったからという噂がある。

彼らも被害者なのか?

おそらく答えは「イエス」だろう。

ジャニーさんのごり押し具合、容姿もジャニー喜多川が好む

「少年」の容姿で声も高く、身長も低め、

ジャニーさんの好みであった。

外されたメンバーの容姿の変化をみても

ジャニーさんの好みははっきりと分かる。

お気に入りだったのになぜデビューできなかったのか?

ここからが本題である。

ここまでごり押しだった彼らがなぜデビューできなかったのか?

理由はいくつか考えられる。

事務所が予算をかけたほどの売り上げはなかった

彼らは冠番組、横浜アリーナでの単独公演も行っている。

つまり彼らの人気を数字でダイレクトに知れるのである。

事務所がお金をかけて売り出した割には、数字が伴っていなかったの

かもしれない。

横浜アリーナ単独コンサートがあったものの、DVDの発売はない。

容姿の変化によりお気に入りではなくなった

彼らの活動期間は2000年~2007年、当時12歳から活動し、2007年には

高校生へと成長した彼ら。

あたり前だが、中学生の頃とは

声も体格も大きく変化していた。

身長が一番伸びた鮎川太陽は180㎝以上の身長になっていた。

このような容姿、声の変化から

ジャニー喜多川の「お気に入り」から外され

ya-ya-yahとしてのイメージと繋がらず、

デビューできなかったのかもしれない。

 

メンバーの4人中2人はヘイセイジャンプとしてデビュー

ya-ya-yahとしてデビューはできなかったものの

薮宏太と、八乙女光はヘイセイジャンプとしてデビューしている。

なぜ2人が選ばれ、2人が外されたのか?

これまでの養成費用を考えるとデビューはさせた方が良い

2000年からTVにでている彼らはそれなりに、トークもダンスも歌も

できるレベルまでは到達していたため、

全員デビューなし。というのは事務所としてはかなり痛手だろう。

お金をかけて育てたのに、言葉は悪いが使わなきゃ勿体ない。

芸歴も長い。リーダー役としてグループにいれよう!

でも4人は多すぎる・・・

という考えから、2人だけのデビューに至ったのかもしれない。

残りの二人がデビューできなかった理由

山下翔央は昭和うまれであり、全員が平成うまれであるヘイセイジャンプの

コンセプトには合わなかったといわれている。

※翔央は見た目もパフォーマンスもかなり高い水準にいたと思うが

ya-ya-yahとしての活動の後半、カメラから抜かれなかったり

露出が控えめになってきていた。

ジャニーさんからの性加害を断ったりしたのだろうか?

 

もう一人の鮎川太陽は、身長が180cm以上になり

声も低く、ヘイセイジャンプのコンセプトとマッチしなかったと

言われている。

彼らの気持ち

良く考えてみて欲しい。小6~高3までジャニーズ、エンタメに魂をささげ、

性被害を受けながらも「いつかデビューできる!」という期待をもち、

最後は、成長による容姿の変貌、ジャニーさんのお気に入りから外された

という理由から、デビューできず・・・

※もちろんそれだけではないと思うが。

 

デビューはできた2人も、今までセンターでやってきたポジションから

いきなりの後列。

17~18歳にしてこの現実はあまりにも

残酷ではないだろうか?

ジャニーズを趣味でやっている。

程度なら話は別だが、彼らは完全にジャニーズの仕事を本業としてやっていた。

薬剤師、社会人に例えると

ミスをした。容姿が変わったからという理由で「あなた明日から来なくて良いよ。」

と突然言われるようなもんである。

いわれるならまだしも、こっそりと

白衣を捨てられたり、無視されたり、徐々に居場所がなくなっていく

仕事が与えられなくなる。

 

一般人なら転職などの選択肢もあるが

一度表にでた人間は、転職も難しい。

※しかし、山下翔央は一般人にもどっている。一体いまは何の仕事をしているのか?

今回ジャニーズ性加害問題が浮き彫りになったことで、

ジャニーズ事務所を退所した二人は

証言者に加わらないのだろうか?

※鮎川太陽は舞台俳優として俳優業をしている

顔は出さなくて良いから、山下翔央にはなにかしら証言をして欲しいと思う。

もしくは暴露本などで、少しでも自分の人生の経験を

提供することで稼いで欲しいと思う。


ジャニーズの憂鬱

リアルタイムで彼らの活動をみてきた著者としては

彼らの活動、終わりは実に悲しい。

そして「憂鬱」という言葉だけでは

片付けられないほどの

絶望と失望を彼らは経験したに違いないと思う。

「世界がひとつになるまで」はとても良い曲だが

美しい花にはトゲがあるように、

美しい曲の裏側にもたくさんの

失望と絶望があるのかもしれない。と思わず感じてしまう。

しかし、現在、俳優業として活躍している鮎川太陽は

ジャニーさんが、

亡くなられたときにはジャニーさんへの感謝の

気持ちをTwitterに書いている。

これはグルーミングなのか、なんなのか。

ya-ya-yah問題も性加害が浮き彫りになった今こそ、

知りたい真実の一つだ。

 

当時の彼らの活動を詳しく書いたウィキペディアはこちら

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